
いまだに解決されず、先延ばしされるばかりの普天間飛行場の辺野古移設問題。
2019年2月に沖縄県でおこなわれた県民投票では、辺野古移設に反対する声が多数という結果になりました。
そもそも、普天間問題はなぜ、これほどこじれてしまったのでしょうか。
そこで今回は、普天間飛行場の問題点や、これほどまでこじれた経緯についてわかりすくお伝えします。
普天間飛行場とは?
沖縄県宜野湾市にあり、米軍の海兵隊の基地である普天間飛行場。市街地にあることから、事故や騒音などさまざまな問題が生じやすいという問題点があります。
『辺野古移設』については、一旦合意してすすんでいたものの、地元と政府が衝突。現在も話し合いは平行線をたどっています。
なぜ辺野古が候補なの?
移設が検討されはじめたのは、1995年の沖縄米兵少女暴行事件がきっかけです。
小学生の少女が3人の米兵に暴行された事件は、沖縄県民の反米感情を爆発させ、米軍の駐留に対しての大きな反対運動がおこなわれました。
この運動を受けた当時の橋本首相は、1996年に当時のアメリカのクリントン大統領と普天間飛行場の全面返還を合意します。1999年には当時の沖縄県の稲嶺知事が、『辺野古の沿岸域』への移設案を表明。
当時の名護の岸本市長からも案への賛成を得たことで、政府は辺野古への移設方針を決定しました。
平行線たどる『辺野古移設案』
辺野古を表明した稲嶺氏でしたが、条件として『15年間限定の民間も使えるような飛行場』であることを掲げていました。
しかし、アメリカの合意を得られなかった日本政府は、1999年の閣議決定を廃止。2006年には『沿岸案』を正式な方針としたため、稲嶺氏は反対派の立場に一転します。
2009年には当時の鳩山首相が政策として『県外移設』を掲げたにもかかわらず、2010年には辺野古移設に関して日米共同声明を出すなど、移設問題は迷走。
その後も、2014年の沖縄知事選や沖縄名護市長選挙、衆院選や2018年の沖縄知事選では辺野古移設の反対派が次々と当選するも、2018年におこなわれた名護市長選では、移設容認派が当選しています。
辺野古沿岸部では埋め立て作業が開始されましたが、依然として辺野古移設案は平行線をたどっています。
普天間飛行場の問題点
現在も、移設や基地返還が強く要求されている理由は大きく分けて4つあります。
・市街地
・米兵の問題行動
・事故の危険
・騒音
市街地
普天間飛行場は市街地のど真ん中にあり、周辺には学校や住宅があります。
そのため、『世界一危ない基地』ともよばれています。
米兵の問題行動
米兵による女性や少女への暴行・殺人事件は少なくありません。しかし、日米地位協定では、日本側で起訴されるまでアメリカ側が米兵を拘禁するとしています。
つまり、容疑者の米兵が米軍基地内に逃げ込んだ場合、日本の警察に身柄が引き渡されない可能性もあるのです。
事故の危険
大型ヘリの部品落下事故やオスプレイ墜落事故など、市内に限らず、県内各地で普天間飛行場の所属機による事故が絶えない状況です。
騒音
普天間飛行場は市街地にあるため、ヘリや飛行機などの騒音に悩まされながら周辺住民は今も生活しています。
オスプレイのトラブル
オスプレイは、沖縄県内外や国外で緊急着陸や墜落事故などのトラブルをたびたび起こしています。
普天間飛行場の所属機も、2016年12月に起きた名護市安部沖での墜落から、2017年にはオーストラリア東海海上に墜落し3人が死亡する事故や緊急着陸など、トラブルが頻発。
オスプレイの事故率は配備時から年々増加傾向にあり、安全性を懸念し、運用に不安な声もあがっています。
辺野古移設問題|まとめ
辺野古への移設をすすめたい政府と、返還と県外への移設を願う沖縄県。
といっても、沖縄県のなかでも容認派と反対派が存在しているため、両者の対立はますます深くなっています。
沖縄の基地問題は、日本全体の問題です。
『世界一危険な基地』と呼ばれる普天間飛行場の問題を沖縄だけに押し付けず、『自分事』として注目していきたいですね。