日本の固有の領土である『尖閣諸島』。
しかし、いつの間にか中国が尖閣諸島周辺に武装船を派遣し、実効支配体勢を着々と進めています。今もなお中国が狙う尖閣諸島とは、一体どんな島なのでしょうか。
尖閣諸島問題を説くうえで必要な島々の歴史や、両国の主張について解説します。
尖閣諸島問題の概要
尖閣諸島とは、沖縄県に属し、東シナ海の南西に位置する魚釣島など8つの島で構成されている島々を指します。
日本がもともと実効支配、所有する島々に対して、中国が領有を要求したことから生じた『尖閣諸島問題』ですが、日本は「領土問題は存在しない」との立場をとっています。
中国が島の領有を狙いはじめたのは、1971年から。1969~70年に国連がおこなった海洋調査によって、イラク埋蔵量に匹敵するほどの石油量1086億バレルが尖閣諸島の周辺海域に埋っていることが判明してからです。
また、周辺は昔からマグロやカツオなどが採れる豊かな漁場であるだけでなく、中国にとって軍事的有利にもつながる場所でもあります。
・石油
・漁場
・軍事的価値
これらの実利を求めて、中国や台湾は領有権の主張をおこなっているのです。
尖閣諸島の歴史
明治政府が1885年から何度も実施した調査の結果、尖閣諸島は当時の清国を含むどの国にも属さない場所でした。
そのため、国際法で認められている『先占の法理』を用いて、1895年日本は沖縄県への編入を閣議で決定。
沖縄県八重山郡となった尖閣諸島では、民間の日本人が現地で開拓や国旗掲揚などの統治をおこなっていきました。
その後、サンフランシスコ条約によってアメリカの占領下になりましたが、1972年には日本に返還。
現在は日本の領土であるため日米安全保障条約が適用され、有事のときは自衛隊と米軍が防衛に参加することになっています。
両国の主張
歴史的資料から考えると、この問題の結論はどう見ても日本のものなのですが、両国の主張をみていきましょう。
中国の主張
中国は、「明時代から台湾の付属島であり、中国のもの」との主張を貫いています。中国の方が早く尖閣諸島を見つけていて、島の名や利用、漁業などをしていたのだと。
また、明時代の『沿海山沙図』という倭寇に対する海上防衛のために使用していた地図に記載があることも、主張の根拠とされています。
そして彼ら曰く、1895年に締結した下関条約に乗じて、日本が強奪したというのです。
日本の主張
一方で日本は、「領土問題自体、存在しない」との見解を公式に示しています。
というのも、明・清時代の歴史的資料からは尖閣諸島や台湾が中国のものであったことを完全に立証する証拠がいまだ見つかっていないのです。
また、下関条約の締結時も中国側が『尖閣』について言い及んだ事実は一切なく、下関条約で奪われたとの主張を裏付ける証拠資料もいまだ見つかっていません。
現地調査と周辺の国々との調整を経て、日本に編入後は日本民間人が開拓、鰹節製造などの事業をおこなってきた尖閣諸島。
1920年には大日本帝国地図や、海難事故に対する中国からの正式な日本への感謝状にも日本の領土との記述があり、1953年の人民日報にも「琉球群島に含まれる」との趣旨が書かれています。
沖縄県に編入してから1970年までの75年間、中国は日本の領有に対して一度も異をとなえていません。それどころか、石油資源が確認される前の1970年の『中華人民共和国発行の社会地図』に書かれた中国の国境線は、中国と尖閣諸島の間にあります。
歴史的資料を分析したうえで領有権を表明する日本に対し、中国は確固たる証拠資料がないにもかかわらず領有権を求めているに過ぎないのです。
まとめ
歴史的根拠を基に宣言する日本と、支配の既成事実化をはかる中国。
今も尖閣諸島沖に侵入する中国船や軍艦、潜水艦は後を絶たず、相手の船に乗り込んで持ち物検査すらできない日本に対して、中国はやりたい放題です。
日本の領土を守るためにも、国民1人1人が尖閣諸島の歴史を理解しておきたいですね。