
皆さんは北海道拓殖銀行について、覚えているでしょうか。
1997年11月に経営破綻した日本で初めての都市銀行であり、「大手行は潰れない」という当時の常識を覆した銀行です。
北海道の心臓といわれるほど北海道大手であったにもかかわらず、破綻に至ったのは何故なのでしょうか。
そこで今回は、北海道拓殖銀行の破綻理由についておさらいしていきましょう。
もくじ
北海道拓殖銀行とは?
北海道拓殖銀行は、特殊銀行として発足後、都市銀行になった銀行です。
1899年に北海道拓殖銀行法を制定した翌年、北海道の開拓を支援するために設立されました。
具体的な業務は
北海道拓殖銀行の具体的な業務
● 道内の農業への融資
などです。
そして、終戦後 GHQ により業務停止を命じられ、1950年に旧拓銀の業務を継承した普通銀行を再発足。1955年には都市銀行への仲間入りをしました。
都市銀行となっても北海道を基盤に、道内最大手の銀行として1997年まで存在していたのが「北海道拓殖銀行」なのです。
北海道拓殖銀行が辿った破産の流れ
都市銀行の一角を占めた北海道拓殖銀行の破産は、当時の日本経済に大きな爪痕を残しました。
ここからは、破産までの一連の流れをご紹介します。
バブル期に起きた「金余り」状態
ニューヨーク、セントラルパークの東南にある「プラザホテル」。
ここで1985年9月に行なわれたドル高是正のために開かれた「プラザ合意」が、日本のバブル経済の始まりでした。
プラザ合意を機に深刻な円高状況を脱するため、日銀が低金利政策をおこなったことで日本は空前の「金余り」状態が起きたのです。
余った資金は
● 株式市場
● 不動産市場
などになだれ込みました。
資産価格は上昇して、日経平均株価は1989年12月29日38,915円と史上最高値をつけ、不動産市場では地価高騰が発生。
この土地高騰によって強く定着したのが、「地価は必ず上がり続ける、だから土地を担保にとれば融資は安全」という土地神話です。
道内インキュベーター案件(実績未知数のリスク案件)への融資に方針転換
他行並みに本格的に不動産融資をおこなったのは1988年ごろ。
都市圏や関西圏から完全に出遅れたことで、北海道拓殖銀行は大胆にならざるを得ませんでした。
そこで打ち出されたのが1990年策定の「たくぎん21世紀ビジョン」であり、道内インキュベーター案件への融資戦略です。
これは当時の頭取や経営コンサルタントを中心に構想したもので、バブル期で不動産融資が注目されていたことから営業の方針の中心になっていきました。
企業成長・不動産開発支援を担うための「総合開発部」が新設し、リゾート開発と不動産会社に積極的に融資していった北海道拓殖銀行。
この積極的なインキュベーター路線が、結果的に仇となったのです。
バブル崩壊による多額の不良債権
北海道拓殖銀行の悪夢が始まったのは、バブルの崩壊期でした。
経営体力を無視し、国が土地関連融資の抑制をまとめた総量規制後も不動産への融資を継続した結果、次々と焦げ付き経営を圧迫。
1980年代後半から無理に拡大した不動産融資のツケが回ってきたのです。
なかでも、カブトデコムとソフィアへの融資が巨額の不良債権化し、経営危機の引き金となりました。
市場での信用が失われた北海道拓殖銀行
不良債権が急増した北海道拓殖銀行は、不良債権の公表額を過少に見せるだけでなく、不良債権を飛ばすなど隠ぺい工作などをおこなっていくも、業績の悪化を完全に覆い隠すことはできませんでした。
むしろ信用不安を強め、金融市場から執拗に圧迫を受けることにつながっていったのです。
こうしたなかで、北海道銀行との合併の話し合いに臨むも、交渉は失敗。
その後も急激な預金の解約や流出、大幅な株価の下落などが進んだことから、大蔵省と日銀は北海道拓殖銀行の立て直しを断念し、北海道拓殖銀行はついに崩れ落ちたのです。
学ぶべきは「リスク管理の重要性」
今回の破綻から私たちが学ぶべきことは「リスク管理の重要性」です。
当時の北海道拓殖銀行は、不動産価格は今後回復するという希望的観測に頼った結果、すべき対応に遅れを取ってしまいました。
つまり、リスク管理よりも利益獲得ばかりに目がいっていたのです。
企業経営において経営層は、想定外の出来事は不可避であるとしても、それでも企業が倒産しないように最大限手を尽くさなければなりません。
昨今、社会環境が急激な変化から、業務プロセスの複雑化や従業員の法令違反などリスクも多様化しています。
それに伴い、経営層は平常時から常にリスクの所在を明らかにして把握し、なおかつリスクの取捨選択をおこなう攻めの姿勢が多くの企業に求められています。
北海道拓殖銀行はなぜ破綻したのか?破産理由と学ぶべき教訓をわかりやすく解説|まとめ
北海道拓殖銀行が、戦後初めて都市銀行として経営破綻してから約23年。
金融業界は安定しているというイメージを持っている人も多いかも知れません。
ですが、2020年の今も、政府や日銀の誤った金融政策によっては再び不良債権を抱えるような高リスクの案件に金融機関が手を染める、という悪夢が繰り返されることも考えられます。
歴史を学ぶことは、過去の経験を材料に未来を考えること。
これからの日本を考えるうえで、北海道拓殖銀行の破綻について今一度向き合ってみてはいかがでしょうか。