
関税や先端技術摩擦などで対立する米中のはざまで揺れ動く日本政府では、かつて30年以上前に起きた事件の再燃が警戒されています。
その事件とは、「東芝機械ココム違反事件」です。
いわゆるバブル経済期に起きた東芝機械による不正輸出事件で、日米間の政治問題にまで発展し、国をあげて大騒ぎになりました。
今回は、そんな東芝機械ココム違反事件の概要や事件発覚の経緯などについておさらいします。
もくじ
東芝機械のココム違反事件の概要
東芝機械のココム違反事件とは、1987年に日本で発生した、東芝機械がココムに反してソ連に工作機械を不正輸出していたという事件です。
当時、アメリカは旧ソ連(現在のロシア)を含めた共産圏に対して軍事転用の恐れがある製品の輸出に敏感でした。
そうした状況のなか、東芝機械がソ連に4台の工作機械を輸出していたことが発覚。
「ソ連の潜水艦技術を進歩させてアメリカ軍に潜在的な危険を与えた」として、アメリカはすさまじく東芝機械をたたき、日米間の外交問題へと発展しました。
そもそもココムとは何か?
かつての冷戦時代を象徴するもののひとつである、ココム(COCOM)。
対共産圏輸出統制委員会とも呼ばれ、1949年に設立され1994年に解散した非公式の国際協議機関です。
旧ソ連など共産諸国向けの戦略物資や先端技術の輸出禁止・制限を目的に、日本やアメリカを含む17カ国が加盟していました。
ただ、ココムで決められたものは紳士協定であり、どれも法的拘束力がありません。そのため、各国はココム合意に基づき国内法で制限品目について定めていました。
そして、当該品目が規制品目にあたる場合は、政府の許可を義務づけていたのです。
東芝機械ココム違反事件の発端は?
事件が発生したのは、バブル真っただなかです。
東芝機械が儲け路線として、技術を欲しがるソ連への輸出を選んだのがきっかけでした。
そのとき輸出していた主な製品は、工作機械や大型NC(数値制御) 装置及びソフトウェアなど。
ココム合意の制限を超える性能の工作機械であると知りながら、東芝機械は偽りの輸出許可申請書を作成して貿易をおこなっていたのです。
事件発覚から裁判へ
この東芝機械によるココム違反の輸出についてアメリカが知ったのは、和光交易の社員からの密告でした。
当然、アメリカは激怒。
旧ソ連の原子力潜水艦の性能向上に手助けしたとして、東芝機械の事情を徹底的に調査するよう日本に強く要請します。
その結果、事件発覚の翌月には警視庁が虚偽申請についての外為法違反として、東芝機械の幹部2人を逮捕。
さらに当時の通産省は東芝機械に対し、1年間の共産圏向けの輸出禁止という厳しい行政処分を下しました。
また、同年5月におこなわれた裁判では、東芝機械は罰金200万円、幹部社員2人は懲役10年(執行猶予3年)懲役1年(執行猶予3年)の量刑が決定。
さらに、親会社である東芝は当時の会長の佐波正一氏および社長の渡里一郎氏が辞職しました。
アメリカの対応
東芝機械に対するアメリカの対応はとても厳しいものでした。
ホワイトハウス前で連邦議会議員が東芝製のラジカセやテレビをハンマーで壊すなど感情的な抗議活動が各地で盛り上がり、議会でも東芝への厳しい批判は一向に激しくなるばかり。
また、議会では、東芝グループ全体の製品を輸入禁止にするという制裁議論が何度もされ、事件の翌年には日本を狙い撃ちにした修正貿易包括法案が可決するまでの事態に陥りました。
一企業が起こした不祥事問題は、こうして日米の外交問題にまで発展していったのです。
東芝機械ココム違反事件とは何だったのか?概要や事件発覚後の流れについてわかりやすく解説|まとめ
このまま米中対立が深刻化すれば、日本経済が東芝機会ココム違反事件に相当するリスクに晒される可能性もゼロではありません。
アメリカを核とした世界経済の減退が進んでいる今、米中の貿易摩擦は中国投資を拡大している日本企業や金融機関も無関係ではないのです。
リスクを減らすためにも、今こそ謙虚に過去から学ぶ姿勢が必要なのではないでしょうか。